夜カフェの時間

ここまで情報過多な社会になっているのなら、どんな文章でも読んでしまう人はいるんじゃないか、、、と思っているミレニアル男子。日々の生活の中で埋もれてしまうアイデアを書き留めていく、という試みたちです。

人生は積み重ね

生きていくのって、いろいろなものを得ながら、同時に捨てていくものだと思っていたけど、違うんじゃないかなあって思った。

 

生きていくと、いろいろなものと出会っていく。

ものって、モノもだし、人も、お金も、知識も。

 

まだまだ僕は若いので、お金をためていこうっていう考えはないし、いまは人生のそういうフェーズではないでしょう。

 

知識に関しては、特に意識しなくてもたまるものはたまっていくし、いらないものは薄れていく。薄れていくものはいらないものであると思う。

 

モノについてもそうだと思う。

 貯めていくのは物理的に難しいし、その必要はないでしょう。

 

ここで本題、人である。

 

人とのつながりって流動的なものだし、そうあってしかるべきだと思っていた。

環境が変わると、接点を持つ人たちは変わるし。

 

そうやって、新しい人と出会って、接していくことで、人は新しい何かを得ていくことができるんだと思っていた。

だから、生きていくのって面白いし、新しい出会いがあると同時に、接点が小さくなっていく人が出てくるのは必然でしょって思ってた。

 

自分の人生っていうか生活を振り返ると、季節というか、フェーズに分けられると思っているんだけど、そのフェーズがそのフェーズたらしめているのは、いろいろあるけど、一番大きいのは、だれと関わっていたのかとか、誰が好きだったのか、っていうことだと思う。

 

 それくらい、人とのつながりが流動的であるっていうことは、すべての大前提になる思想だった。

 

しかし、もうすぐ人生のフェーズを移行しようとしているタイミングで、考えが変わってきた。

きっかけはずっと放置していたFacebookに向き合おうと思っただけ、なんだけど。

 

人とのつながりって、気を抜くと、薄くなりがなんだけど、今の時代、人とのつながりを保つのは、難しいことではないんだと思う。技術的には。

あくまで、技術的に簡単になったっていうだけだと思う。

 

人とのつながりは、無敵だと思う。ビジネスなつながりを除いて考えれば、人とつながっていることは、助けになるし、気づきのきっかけになるし。

なによりも単純に楽しい。

 

人とのつながりは流動的なんだから、別に頑張って保たなくってもって思ってたけど。

 

自分ががんばれば保っていけるなら、がんばってみたらもっと楽しいんじゃないかって思った。

 

そして、人とのつながりって人生全体を通して、価値のあるものとして、積み重ねていける唯一のものではないだろうか。モノでもお金でも知識でもなく。